2012年5月15日火曜日

専門演習紹介:真田哲也ゼミ・『ぼくたちは見た』 ガザの子どもたちから福島へのメッセージ

真田哲也ゼミ3年一同
 

●ドキュメンタリー映画自主上映

私たちは、毎年ドキュメンタリー映画の自主上映を企画しています。今年度はパレスチナのガザを舞台にしたドキュメンタリー映画『ぼくたちは見た‐ガザ・サムニ家の子どもたち‐』の自主上映を企画しています。2008年イスラエルのガザ侵攻後、荒廃したガザの地で、子どもたちが懸命に生きる姿を、この映画では映しています。

昨年、私たちは東日本大震災により被災しました。1000年に1度といわれる大地震で、その直接の被害にとどまらず、津波や原発事故の影響など二重、三重の被害が今も私たちを苦しめています。今回私たちは、特に原発被害に遭った福島の人々にこそ、この映画を見てもらいたいと考えています。今回の災害で、家族を亡くした人がいます。帰る場所を奪われた人がいます。放射能は目に見えません。また、その健康被害がいついかなる時に、どのような形で現れるのか定かではありません。

提供:写真部(除染作業・2011年12月)

パレスチナでは、イスラエルの入植活動にともなう侵攻によって、その土地の人々が家族を、住居を、仕事を奪われました。これらは、第一次世界大戦後にさかのぼるイスラエルの建国と、それに付随して現れたパレスチナ問題の一部に過ぎません。この問題はだれが悪いのでしょうか?イスラエルでしょうか?パレスチナでしょうか?国連でしょうか?時の大国でしょうか?

今回の福島の原発事故ではどうでしょうか?悪いのは日本政府でしょうか?電力会社でしょうか?エネルギーの恩恵を受けてきた私たちは全くの被害者でしょうか?

どちらの問題も根が深いものです。


提供:写真部(除染作業・2011年12月)


 ●なぜパレスチナにこだわるのか

パレスチナ問題は単なる地域紛争なのでしょうか?この問題は歴史を深く追って考察しなければならない非常に複雑な問題です。もともとイスラエルの建国はシオニストと呼ばれる一部のユダヤ人が目指したものでした。第一次世界大戦時、世界の大国イギリスはパレスチナの土地にユダヤ人の国を建設すると、現地の人の了承を得ることもなく約束しました。同様の約束はパレスチナ人にもなされました。同時にパレスチナの土地を分割する約束もフランスと結びました。いわゆる三枚舌外交と呼ばれるものです。その後、第二次世界大戦を経て新しく世界のリーダーになったアメリカはイスラエルを後押ししてきました。

パレスチナの地にすむ人々にとってこの一連の流れは、自分たちの故郷を突如奪われたにすぎません。それ以後現在に至るまで、もともとパレスチナの地に住んでいた人々は、イスラエルに有利な分割案で決められたパレスチナ人居住区で生活をしていますが、そこではイスラエルの制限によって必要なインフラ整備を禁じられているほか、常にイスラエル兵による監視下にあり、この居住区にもイスラエル人の入植地を拡大しようとする圧力に日々さらされています。パレスチナ人に人間としての権利が保障されているとは言い難い状況です。

歴史の中で、ユダヤ人と呼ばれる人々はそれぞれの住む土地で差別されることも少なくなく、ナチスによる迫害などユダヤ人のたどってきた歴史はときに残酷なものでした。しかし、それを理由にイスラエルの建国が正当化されるというのは話が違います。また、そもそもすべてのユダヤ人が自分たちの国家を欲していたわけではありませんでした。


●世界の大国アメリカとパレスチナ問題の関連

パレスチナ問題の解決がなされない原因の一つにアメリカの及ぼす影響があります。石油が豊富な中東に関心を持ち、その足掛かりとしてイスラエルは重要な要衝とみなされています。パレスチナ問題の解決に向けた国連安保理決議の場でアメリカは常に拒否権を行使し、国連総会でも反対の立場を常にとりイスラエルに肩入れしてきました。そのため平和的で打開的な問題の解決のめどはたっていません。

もちろんアメリカの関心は中東だけに限らず世界に及びます。世界の至ることころにアメリカの軍事基地や施設が配備され日本も例外ではありません。アメリカは他国の経済、政治に深く関与しています。アメリカは今日の世界を動かす一要素であると言えるでしょう。パレスチナ問題のように、当事者の背後に重要な後ろ盾がいて、利害が複雑に絡み合った問題、紛争等は少なくありません。今回の上映企画に際しては、まず重要な国際問題の一つを表面的にでも考えるきっかけづくりを提示するとともに、それらの問題が実はとても深く、根本につながるものがあることを感じてもらえたらと思います。

提供:写真部(除染作業・2011年12月)


●ガザの子どもたち

パレスチナ問題を題材とした映画として、ではなぜこれを選んだのか。それは子どもに視点をおいて描かれた映画だからです。なにも状況が分からない子どもたちの目の前で、自らが傷つけられ、親を殺され、家を壊された彼らは、その悲しみを、怒りを、憤りをどこにぶつけることができるでしょうか。どうして子どもたちが悲惨な目に遭わなければならなかったのでしょうか。それでも懸命に生きる姿、学ぶ姿。それはそうせざるを得ない環境の中で・・・。

原発被害によって、見えない放射能の影響のために自分の住んでいた町に戻らない、戻れない人々。そうせざるを得ない状況。地元を離れ遠くの学校に通わなければならず、離ればなれになった子どもたち。外で自由に遊ぶこともできない子どもたち。

本質的に今回の原発事故とパレスチナ問題は異なるものかもしれません。それぞれの苦しみを簡単にひとくくりにすることはできないでしょう。でも、パレスチナの子どもたちが徐々に現実を見据えながらけなげに生きる姿から、映画をご覧になった人たちが何か感じてもらえたら、心のどこかに何か残ってもらえたらと思います。

提供:沼田大輔准教授(S棟前チューリップ)