2010年5月24日月曜日

菊池 壯藏(教授)図書館と「情報」のカタチ

図書館報『書燈 』No.44 (2010.4/1発行) 転載記事

菊池 壯藏(教授)


1. 「情報」の現代 



提供:菊池壯藏教授(経済棟前しだれ桜)
久しぶりに、一年生向け「教養演習」を担当することになり、テーマを「情報」に定めた。・・・(中略)・・・いわゆる「高度情報化」時代、書籍や論文の形が電子化され、PCだけでなく「電脳板」などのモバイル型の電子機器によって「いつでも、どこでも」読むことができるようになりつつある。「ぐぐる」(ネットで検索する)ことで、大抵の知りたい「情報」(実は、「ガセネタ」や情報操作目的の「情報」も含まれているのだが)に容易にアクセスできる。高校までの「情報教育」は、現状ではおそらく最低限こうした「情報」へのアクセス方法を教えるのが精一杯なのかもしれない。NHKの高校講座などの番組では、大学での一般的情報教育以上の深い内容を提供しているが、どこの学校でもそれが可能な状況にはなっていないだろう。しかし、「ディジタル・ネイティヴ」世代は、学校で教えられるものを遙かに越えた世界の住民である。だが、その一方でネット世界を「現実」「事実」として理解する傾向もあり、一昔前だと「テレビでも紹介された○×」というところを、「ネットにも出ていた○×」のような言い回しでフツーに語られるほどである。最近では、提出されたレポートの出典にURLを示す例が当たり前のようにみられる。たとえURLであっても、出典を明記してあればまだましな方で、蔓延する「コピペ」の弊害は、NHK/TVの番組「クローズアップ現代」で取り上げられるほどに、教育界での深刻な問題になっている現実もある。


こうしたなかで、私の教養演習テーマの「情報」は、データ処理やインフォメーション収集ばかりでなく、インテリジェンスとしての情報についても縦横に体験してもらおうとの企画であった。幸い、学生諸君から一定の好意的評価をもらったので、この経験のなかから今回は、附属図書館に関わる部分について紹介してみたいと思う。



2. 書籍それ自体がもっている「情報」

本学附属図書館の宝物の一つであるフランス百科全書の現物を、鍵付きのガラスケースから取り出して、学生諸君に実際に触れる体験をしてもらった。重厚な皮革表紙を撫で回し、匂いを嗅ぎ、これを開いて百数十年前に印刷された紙の感触を確かめながら、ページに指を触れて直になぞってみる。と、紙面に微妙な凹凸(おうとつ)があるのを感じることが出来る。文字の部分がへこんでいるのだ。これは印刷が凸版印刷(活字を組んで印刷する)によるからである。ところで、この『百科全書』本編には、今日の百科事典のように挿絵がいっさいない。図版は別巻で準備されており、これらの図版群は18世紀の科学・技術の図像、農工業など産業全般の具体的姿までも、文字だけでは説明しきれない部分を生き生きと提示して見せる・・・これらの細密な図版は銅板画(エッチング)によって印刷されている。エッチングは銅板上に細かい針で溝を掘ることによって描かれる。この溝に流し込んだインクを紙に転写するのであるから(凹版印刷)、注意深く印刷面を触ってみてもへこんではいない。インク部分の微妙な盛り上がりがわかる場合もあるが、普通はそこまではわからない。そのかわりページの周辺部分に銅板の原盤が紙に押しつけられた際に出来た枠の跡がくっきりと残っているのがわかる。文字の印刷と図画の印刷とが、技術的に全く異なった方法で印刷せざるをえない以上、文字と挿絵とを同一ページに混在させることが難しかった事情がこのことによってわかるのである。今日では当たり前のように見かける挿絵入りのページは、19世紀になって、「木口版画」(こぐちはんが:堅い材質の木を輪切りにし、年輪の出た面を磨いて精密に彫り込むの技術)が本作りに応用されてから一般的になるのだ。


提供:菊池壯藏教授(渡り廊下からのしだれ桜)
念のため、本学所蔵の『ブリタニカ』百科事典の初版本(エディンバラ、1773年)のリプリント本と比較をしてみる。この本は現代の写真製版技術によって複製されているので、当初に刊行されたままの「姿」を我々に示してくれる。扉ページの出版地・発行年もそのまま印刷されており、リプリント版であるとの印字はどこにもない。印字された文字情報からみる限り、オリジナル本との区別はつかない。しかし、この本を開いて、任意のページを指でなぞってみると、すべすべ・つるつるで、いっさいの凹凸が感じられない。たぶんオフセット印刷だろう。紙質も18世紀に漉かれたものと比較すると、あきらかに現代紙のように思われる。文字情報ばかりでなく書籍の形態や形状もそれ自身が明らかに「情報」を発信していることがこれでわかるのである。指先の感触だって、有力な「情報」収集の手段になりうるのだ。電子的テキストデータや画像データでは、こうした「情報」の奥行きは伝わらないのである。


3. 「サッカー禁止法」が語るもの

さて、この貴重図書室での授業ではもう一つのテーマがあった。文字情報の内容と解釈に関するものである。

この部屋には『本王国法令集』"Statutes of the Realm"や『スコットランド議会制定法集』"Acts of Parliament of Scotland"などが所蔵されている。いずれも19世紀以前に刊行されたものだが、イングランドやスコットランドで制定された中世以来のすべての法令をここで確認できる(これらも実際に手を触れてもらったが)。このうち、『スコットランド議会制定法』には索引がついていて、スコットランド研究を専門としてきた私にとっては、色々お世話になっているしろものである。だから、そこにfootballの項目が載っていることについても、記憶に残っていた。私の直接の研究対象からすれば、本筋からは離れていたが、興味を引かれたので寄り道・道草でチェックしておいたからである。これが、教材となった。

その内容は以下のようなものであった。早くも1424年にサッカー禁止令が公布されており、しかも、1457年に再び禁止法が成立し、さらに3回目の禁止法も1491年に成立していたのである。日本でいえば、室町時代のことである。法文の内容は、中世英語のスペル、語法で書かれているので読みづらい(footballがfutbalのように表記されているので普通に辞書で引いても出てこない)のであるが、それぞれ禁止の理由が述べられている。早い話、「日頃から弓術など武術の訓練を怠らないようにすべきなのに、これを忘れてフットボールやゴルフに熱中してけしからん」、というのが制定の理由として述べられている。

まあ、わからんでもない。そこで、学生に質問する。「だが、なぜ同じような法律が3度も出ているのか?」と。法律文面の資料そのものが語るのは、サッカーが法律で禁止されていた、というものである。一瞬、皆が考え込む。そこで私は言う。歴史家はこれを、法で禁止しても効果がないほど、相変わらず盛んにサッカーが行われていた証拠として判断するのだよ、と。繰り返し禁止令が出されているという事実の中に、法による禁止という個別情報を越えたメタ情報(=禁止法が効力を持ち得なかったという情報)が含まれているとするのである。その事実は文面の情報のなかには含まれていないので、見落とされがちな「情報」であって、その限りで、この「情報」は単なるインフォメーションからインテリジェンスへと昇華されていることになる。データを直接扱う分野では、ともすると意識され難いこうした思考手続きは、人文系の学問(特に資史料を扱う歴史関係の領域)のなかでは、常識とされている作法である。これは「テキスト・クリティーク」「史料批判」と呼ばれているものであって、あらゆる状況の中で必要とされる「行間を読む」能力とは、そうしたものをいう。大学で学ぶべきキホンはこれなのだ、と私は常々思っている。


提供:菊池壯藏教授(経済棟前のケヤキ)